三角点名 | 金甲山 (キンコウザン) | 山 名 | 金甲山 (【光南台アルプス】の一座) |
所在地 | 玉野市八浜町波知字金甲山・岡山市 | ||
コード | TR 25133677701 | 標 高 | 403.07m (20140313標高改算) |
埋 標 | 昭和33年 5月24日 (旧埋標:明治24年 1月 7日) | ||
地上部 | 15cm | 方 位 | 正常 |
概 況 | <H15.09.19以後随時> 山頂にテレビ塔が林立しており、自動車で頂上駐車場まで行けるが、それでは山登りの醍醐味が味わえないし、感激も少ない。 やはり、郡地区の【怒塚山】登山口から登るのが楽しい。途中、植物観察等もしながら【怒塚山】頂上で小休止し、電源開発の鉄塔128への分岐点にある【甲ノ上】を経て9合目付近に祀られている「金毘羅宮」に参拝し、舗装道に出て金甲山の頂上に辿り着く。(怒塚山から約50分、郡登山口からはトータル約2時間) 山頂には旧レストハウスが残っており、その屋上からの展望は格別(名勝鷲羽山、王子ガ岳と共に瀬戸内海を望む三大眺望台の一つ)。天候に恵まれれば遠く【大山】も望むこともできるのでお楽しみに! 三角点は屋上の北外れの小さな祠の隣にあり、気をつけないと見過ごしてしまう。そういえば、以前、レストハウスの東にあった桃太郎像も今は見えなくなったが何処にいってしまったのか?(岡山駅前広場にも兄弟がいるようだが…)。 <山名の由来等> @古代から児島で最も高い霊山とされ、桓武天皇(781〜806)の命を受けて坂上田村麻呂が由加山に棲む鬼を退治しに来たとき、戦勝祈願のため、神籠石の近くに金の甲を奉納したことから名づけられたとの伝承がある。(昭和47年発行「玉野史続編」) A山中に金鉱石が埋蔵されており、そのうえ山容が甲の形をしていることによる。(「日本山岳ルーツ大辞典」) B山名の由来ともなった「金の甲」を収めた場所として【円通寺(庵)】との伝承もある。 C金甲山に鎮座していたが、山麓に遷座した【國津神社】 |
金毘羅宮の大鳥居(嘉永2年:1849建立) |
金毘羅宮の祠 |
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今は見えなくなった桃太郎像 (H15.09.19登山時確認) 何処かで元気でいてほしい! |
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旧レストハウスの奥に祀られている不動明王 |
旧レストハウスの屋上北に祀られている祠 |
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三角点の解説板 |
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旧レストハウスの屋上から西の展望 |
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不動明王の横にある貝殻 83×62×30cm *クリックで大 |
<下山ルート 1> しばらく往路を引き返し、金毘羅宮の横から右(東)折して「みつがしわ新道」を南東に進む。谷筋の「地蔵尊」に参拝した後、電柱に沿って谷筋を降り、「誠徳院」にお礼参りしてから怒塚山登山口に戻る。(山頂〜金毘羅宮約10分、金毘羅宮〜地蔵尊約15分、地蔵尊〜誠徳院約25分、誠徳院〜登山口約40分) *体力と時間に余力・余裕があれば、清水池堰堤から【城山】を経由するのも一興、特にツツジの季節(4月〜5月)は素晴らしい! |
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地蔵尊に通じる「みつがしわ新道」 |
谷筋で頑張っておられる地蔵尊*クリックで大 |
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地元の方が日参される誠徳院 |
誠徳院前の清水池越しに見た【城山】の山容 |
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<下山ルート 2> 往路を【甲ノ上】まで引き返し、右(東)に延びる鉄塔管理道を下って「中池」に向かう。途中、急坂もあるので要注意。中池からは「誠徳院」の参詣道に合流して怒塚山登山口に戻る。(「甲ノ上」まで約30分、「甲ノ上」〜中池約20分、中池〜登山口約30分) |
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<下山ルート 3> 往路を鉄塔127の北まで引き返し、【エスケープルート】(電源開発の鉄塔管理道)を下って歌見に出る。こちらも一部急坂があるので要注意。(エスケープルート分岐まで約40分、分岐から歌見ゲートまで約35分) |
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<下山ルート 4> 往路を引き返し、【甲ノ上】【怒塚山】を経由して登山口に戻る。(約90分) |
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玉野市東七区から見た怒塚山(左)・金甲山(右奥) |
<地蔵尊前の桜> 地蔵尊前には目どおり約2mのサクラの大木がある。普通のヤマザクラよりやや遅れて開花するのだが樹種はハッキリしない(エドヒガン?)。例年、自宅の2階から【怒塚山】のヤマザクラの開花状況を見て地蔵尊前の桜の検証に出かける。登山口に車を停めて「誠徳院コース」に取り付き、地蔵尊に参拝した後、ユックリ桜を観賞するのが春の定例行事の一つ。サアーて今年はどうかな? |
H22.04.03 |