三角点名 | − (岡山市三角点) | 山名 | 弁天島 | ||
所在地 | 岡山市南区郡 | ||||
コード | (岡山市55) | 標高 | 15m | ||
埋標日 | (不詳) | 方位 | (正常) | 地上部 | (8cm) |
概 況 | 児島湾締切堤防を通るたびに気になっていた島、時間を割いて訪れる。締切堤防東端の手前約100m地点から南へ入り、広場に車を停めさせて貰う。 山麓の神社を右回りに巡拝して安全祈願する。3社目の【八幡若宮】の祠の南に句碑が建っているのを発見、よく見ると「西行法師」と「松尾芭蕉」の句が刻まれていた。「エッツ、どうしてこんな所に?」と驚くと共に帰宅して調べることに…宿題ができて期待感倍増! 南端まで行って山頂への登り口を探すも見当たらず、北麓に戻り、ゴミ収集場所に「災害時一時避難場所」の掲示があり、その中に「弁天島」が1班の避難場所に指定されていることに気づく。ならば必ず登り口がある筈!と改めて探してそれらしき場所(東登り口)を見つけるも、急坂に加えてウバメガシの太い幹が邪魔をしており、可なり厳しそうなのでこのルートは諦める。更に北に回りこんで「浅越和男顕彰碑」の裏山をよく見ると、落ち葉の中に古いロープがあるのを発見、「よーし、ここから…」と気合を入れて登って行く。 ヤットのことで山頂に達するも狭い尾根筋にはウバメガシが枝を張っており、引っかかると崖から転落する恐れがある。そこで、手持ちの道具で尾根筋を整理にすること約1時間、すると細い尾根に岡山市が設置した「三角点」標石や「岡山縣・測點」と刻まれた石柱があり、思いがけないご褒美を頂いて疲れも吹っ飛ぶ。 小休止して山頂からの展望を楽しんだ後、整備した尾根筋・急坂を慎重に下って西登山口に降りる。そこには、児島湾締切堤防の完成を機に4基の石碑が建っており、先輩たちのご尽力・ご労苦に深く敬意を表する。そして、北公園を一回りして、散歩中の地元の方に御礼を言って駐車場を後にする。 帰宅する車中では、「それにしても岡山市は本当にあの急坂で狭い山頂を緊急時の一時避難所として考えているのか?実際に現地を踏査して今でも適地と考えているのか?」との疑問が消えることはなかった。 (2020.11.8) |
尾根筋にある岡山市設置の三角点
公園北口から見た弁天島 |
@宗形神社 |
A金刀比羅神宮 |
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B締切堤防完成50周年記念碑 |
C【八幡若宮】 左に句碑 |
D句碑 *クリックで大 | ||
災害時一時避難場所に「弁天島」が…* | E登り口(中) |
F山頂からの展望、正面に見えるのは 【怒塚山】 |
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尾根筋にあるのは?*クリックで大 | H岡山県設置の測点*クリックで大 | |||
下りは急坂で滑りやすい |
落ち葉もあって要注意! |
I登り口(西) |
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L殉職碑 *クリックで大 | ||
M浅越和夫顕彰碑 *クリックで大 | 進入路奥にある広場 |
進入路脇に咲く花 |
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児島湾締切堤防から見た弁天島 右奥に見えるのは【怒塚山】 |
<歌碑の件> むかしみし 松は古木に成りにけり わか年へたる ほともしられて (西行) いなつまや 闇のかたゆく 五位の聲 ばせを (芭蕉) 西行法師の歌の出典は「山家集」であるが、その詞書には「西國へ修行して罷りける折、児島と申所に、八幡のいはゝれ給ひたりけるに籠りたりけり。年経て又その社を見けるに、松どもの古木になりたりけるを見て(詠む)」とあり、当地は、岡山市に合併する前は「児島郡甲浦村」であったし、近くに八幡若宮も鎮座していたことから、当地で詠んだものと推定したようだ。 一方、芭蕉については当地とのかかわりを示す文献は見つからなかったが、この歌を詠んだ西行の心を汲んで、建碑者が数多い芭蕉の句から選んで併記したのではなかろうか。 なお、西行の記した「児島」に関し、倉敷市曽原の【清田八幡神社】及び玉野市八浜「八幡宮」の南の【両子山】公園にもこの歌を記した石碑等があり、本家争いになっているようだが果たしていずこが…。 (玉野市渋川の【八幡宮】の前には西行法師の立像、境内南には腰掛岩があるので併せてご覧ください。) |