三角点名  ー 山名  観音山 (「岩屋山」)
所在地  矢掛町小田                  
コード  TRー 標高  151m
概況  小丸山】の探査を終え、小田川を遡って共栄橋手前から山容を確かめた後、南山麓に車を停める。
 庭の手入れをしていた地元の主婦に来意を告げて山頂の近況を尋ねると、「以前、中腹の八丈岩までは登ったことがあるが、山頂のことは知らない」とのこと。やや不安も過るが地図を頼りに登ることに。急な階段を登って先ずは観音堂に参拝。中には11面観音菩薩尊が祀られており、安全祈願をして西の山道(参詣道)に取り付く。「保安林」標識の前を通って登っていくと標高115m地点に大岩があり、その上端には祠が祀られている。どうやら地元の方から聞いた八丈岩のようだ。大岩から南の展望は格別であるが、帰りの楽しみに残しておき、細い山道を北に向かう。大岩から5分ほど登ると立ち木が切り開かれ、やがて山頂に到着、龍王神に五穀豊穣を祈願する。(往路:約20分)
 遺跡を探すため北に10mほど下ると石碑が立っており、「南無阿弥陀仏、文化14年(1817)」と刻まれている。このことからも、古くから信仰の山であったことが分かる。
 山頂に戻り、改めて遺跡を探すも、近世の城とは異なり石垣等は見当たらない。ただ、山頂から南には緩やかなスロープが広がっており、「本丸から南に4段あった(矢掛町史)」ことが窺がわれる。
 山頂からは東にも赤いテープが付けられているが、八丈岩からの展望を楽しむため、往路を引き返す。八丈岩で祠の周りを整理し、絶景を眺めながら昼食を摂った後、麓まで降りて往路に出会った地元の方に御礼を云って駐車場所に戻る。(復路:約15分) そして、本日最後の探査地【後山】に向かう。(H26.05.28)
 *「岩屋山城」は、小田氏6代の高清が永禄年間(1558〜1570)に築城という説もあるが、「小田物語」には、5代小田政清が弘治元年(1555)築城との記述がある。(矢掛町史)



山頂に祀られている竜王神

山頂近くは切り開かれている
 
山頂の北10mにある石碑
文化14年(1817)建立、高さ1.8m

岩屋から南の展望

細い山道(参詣道)が続く
 
山腹にある八丈岩
上端に祠が祀られている
(展望台の大岩はコンクリで固定)

観音堂から奥への登り口

観音堂
 
観音堂に登る急な階段

小田川右岸から見た山容 
 
山麓にある案内板
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