三角点名 | ー | 山名 | 造山 (造山古墳) | ||
所在地 | 岡山市北区新庄下 | ||||
コード | TRー | 標高 | 37m | ||
概 況 | 総社市内の友人宅を訪問しての帰途、「造山古墳ビジターセンター」が4月にオープンしたのを思い出し、立ち寄る。広い展示スペースには各種のパネルが展示されており、多くの歴史ファンが喜びそう! ガイドマップやパンフレットを貰い、駐車場の「吉備の大王」像に挨拶をして西に進む。民家の脇を通り、急な階段を登って先ずは荒神社に参拝し、鐘楼台横の石棺に手を合わせてから散策道を北進する。途中、平成30年7月豪雨災害の崩落現場(復旧工事完了済み)の横を通って後円部の頂上へ。高松城水攻めの際、毛利方が築城した土塁も残っているそうであるが草が茂っていて俄かには判らず。しばらく頂上から東〜西の展望を楽しんだ後、荒神社の裏を通って前方部に回り込む。1段目から1号墳:榊山古墳の全景をカメラに収めた後、頂部に登ってみるも草が茂っていて遺構らしきものは見当たらず。続いて2号墳、こちらも草に覆われていて何も判らず、続く3号、4号墳も同じで踏査の時期を間違えたことを痛感する。続いて5号墳:千足古墳は、工事中らしくロープが張ってあったが近所の人に来意を伝えて頂部まで登って見ると円筒埴輪などが並べられており、また、南斜面に回ってみると横穴式石室の入口も見え、工事完成時には再訪することを確約する。最後の6号墳も草を分けて頂部に登って見るが特段のものは見つからずザンネーン。国の指定史跡(大正10.3.3)でもあり、時期を考えて再度、踏査することを念じながらビジターセンターに戻る。(2020.5.19) <参考> 出典:「造山古墳ガイドマップ」等 @「前方後円」の名前の由来 江戸時代の学者が命名。荷車を横から見た形から「車塚」ともいう。 A全国規模 1位:仁徳天皇稜(堺市486m)、2位:応神天皇陵(羽曳野市425m)、3位:履中天皇陵(堺市365m) 造山古墳は、築造時(5世紀前半)、大阪府堺市の履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)と全国一位を競ったと推定される。 B造山古墳群の造られ方 場所によっては2段目までが地山で、その上に盛り土がしてある。理由は、石室を安定したところに造るため。 1段目:2段目:3段目の高さは、1:1:3.6になっている。 C「前方」と「後円」の高さの違い 4は「前方」が低く、逆に6は「前方」がく、5は「前方」と「後円」の高さは同じ。 D石棺 造山古墳の石棺は、熊本県産の阿蘇溶結凝灰岩:馬門石でできている。 E5号墳(千足古墳)の横穴式石室 吉備地方では最も古いもので、直弧文と呼ばれる直線と曲線で表現された文様が彫られている。 |
*地図及び写真はいずれもクリックで大
駐車場西に立つ「吉備の大王」像 |
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荒神社(江戸時代に建立) |
屋根を修復中の荒神社 |
鐘楼台の南にある石棺(蓋は社の北)
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南から見た後円部(3段目) |
後円部の頂上 |
頂上から東の展望(向場山) |
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頂上から北東の展望(最上稲荷赤鳥居)
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頂上から北西の展望【鬼城山】 | 頂上から西の展望【和霊山】【福山】 |
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1号墳の頂上 | 2号墳 (一辺約30mの方墳) |
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3号墳(直径約30mの円墳?)
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4号墳 (全長約55mの前方後円墳) | 5号墳:千足古墳 (全長81mの帆立貝形古墳) |
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5号墳の登り階段 |
5号墳の頂上から見た造山古墳 |
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6号墳(直径30mの円墳) | 造山古墳南東部にある標柱・階段 | 造山古墳の案内板 | |