三角点名 | ー | 山 名 | 幸山 (コウザン) | ||
所在地 | 総社市(山手)西郡 (幸山城跡) | ||||
コード | ー | 標 高 | 170m | ||
概 況 | コース名「幸福の小径」(幸山〜福山の散策路)に魅せられて訪れる。山麓の【清音ふるさとふれあい広場】駐車場に車を停め、センターの受付で来意を告げたところ、パンフレットを示しなが詳細な説明をしていただく。 コース名に従って先ずは「幸山」に登ることとし、南進して「もみじ谷」散策路に取り付く。グラウンド「ゆうゆう広場」でプレーする子供たちの元気な声を聞きながら散策路を進んでいくと分岐点に差し掛かるが、ポイントには案内板・指導標識が設置されており、迷うことはない。凡そ15分で幸山登山口に達し、指導標識に従って左に進んでいくと右手にお大師様、参拝して更に高度を上げていくと、やがて幸山(城址)への分岐。標識に従って左に進むと道幅はやや狭くなるが5分ほどで山頂に達する。(センターから約35分) 最高点(標高170m)から古跡の縄張りを推察しながら北西にやや降るとフラットな広場。そこには城址らしく大きな岩石が点在しており、解説板(鎌倉時代後期に築城され、関ヶ原の役(1600)後、廃城となる。)を読んで往時を偲ぶ。 山頂からの展望は抜群で、西に【正木山】、北に【鬼城山】、東には吉備の山並みを見ることができる。 しばらく山座同定をしながら展望を楽しんだ後、次の【福山】に向かう。(H29.09.09) *幸山城跡は【総社市指定史跡】 <山名の由来等> 「都窪郡誌」(昭和16.12 都窪郡教育会発行)に、「往昔、仁徳帝行幸の地にして幸山の名あるなり」との記述があり、また、「清音村誌」(昭和54.5 清音村発行)には、「仁徳天皇が幸山に登った時、お供をした黒媛の足痕だという足形石が、三因の天神様の上方と山地谷の2か所にある」との記述がある。そして古事記には、黒媛(日売)が御馳走しようとアオ菜を採っている姿を見て天皇が「山縣に 蒔けるアオ菜も吉備人と 共にし摘めば 楽しくもあるか」と詠まれたことが載っている。何とロマンに満ちた山なんだろう! |
宿地区から見た左:福山、右:幸山 |
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解説板を読むのも興味深々! | |||
山頂から西:【正木山】の展望 | 山頂から北:【鬼城山】の展望 | ||
幸山城要図 出典:日本城郭体系 |