三角点名 | 杉ノ奥(スギノオク) | 山名 | 総検行山 | ||
所在地 | 美作市(東粟倉)後山字赤惣田 | ||||
コード | TR 45234538001 | 標高 | 823.67m | ||
埋 標 | 昭和54年7月20日 | ||||
地上部 | 9cm | 方位 | 正常 | ||
概 況 | <H28.05.22> 新聞に「総検行山の山名登録を喜ぶ」との投書があり、地元から地図を送って貰って山トモと訪れる。 国道429から県道556に入り、奥海乢の空地に車を停める。本日は「第3回愛の村ビユーライン歩こう会」のイベントが行われており、道路脇には数台の車が停まっていた。装備を整えて県境標識の傍から登山開始。尾根筋を進み一旦ダウンしてから植林の中を登って行く。10分ほどで北の展望が開け、【駒の尾山】【船木山】【後山】を眺めながら更に登って行くとやがて本日のイベント参加者の一団(17名)に追いつく。東の第1ピークから【美作富士:日名倉山】等の眺望を楽しんだ後、西に向かう。急坂にはロープが張られており、そんなに苦にはならない。10分ほどで東峯(標高819m)に着く。そこにはカラフルな案内板が立てられており、後山連峰をバックに、仲間に加えて頂いて一緒に記念撮影。(登山口から約50分) 一行は地元の方の説明を熱心に聞かれていたが、我々は日程の都合上、一足先に西の本峯に向かう。凡そ5分で総検行山、山頂では三角点標石が迎えてくれる。方位等は正常であるがタグは無く、なんとなく寂しそう。そういえば、標高は東峯より高いが展望はイマイチ、しかし西の木には三角点の名前である「杉ノ奥」の掲示があり、今後は訪問者も増えて来ることだろう。 山道は西の金山尾根や南の郷鴫山に延びているが、次回の楽しみに残して、往路を引き返す。途中、ビューラインハイクの一行と「お気を付けて!」「元気でね!」と挨拶を交わし、満開のタニウツギやヤマツツジに見送られながら山道を下る。(復路:約30分) 奥海乢まで降りて、次の【日名倉山】に向かう。 <山名の由来等> 地元作成のパンフには、「『総検行山』の名前の由来は、豊臣秀吉の太閤検地令において、この山頂から後山村及び中谷村が一望できることから、当時の役人が稲作の作付状況を調査した場所、この土地を総検行と名付けた。豊臣方「大阪5人衆」のひとり明石掃部が名付けたともいわれる。」とある。 一方、「美作誌前編東作誌」(明治45.7.3発行)には、「僧検校山:行者山の南の方奥海村界の山なり、高さ10町許、奈岐山(ママ)より高しと云う。」との記載がある。「高さ10町」と云えば約1,100m、標高からいうとこの山のことではなさそうだ。(「日名倉山」は1,047mで標高・位置ともほぼ合致するのだが…。) それにしても、標高が10町(約1,100m)で那岐山より高いと云うのは明らかに間違い(那岐山の標高は1,255m)なのだが、当時、山の高さはそんなに正確には認識されていなかったのかも? |
尾根筋を西に進む * | 北の展望が開ける * | |
第1のピーク * | 東に見える【美作富士】 * | |
東峯にある案内板 *
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【駒の尾山】 * | 岡山県の最峰【後山】 * |
三角点名が掲示されている * | 南の郷鴫山への指導標 * | |
鮮やかに咲くヤマツツジ * |
サラサドウダンも… * |