三角点名 | 開 田 (カイデ) | 山名 | 宮 山 (「宮山城址」) |
所在地 | 真庭市(落合)開田字岩滝 (北東の山麓は【天津神社】の神域) | ||
コード | TR45233454901 | 標高 | 419.41m |
埋標日 | 昭和61年6月20日 | ||
地上部 | 15cm | 方位 | 正常 |
概 況 | 高校を卒業するまで毎日自宅から眺めていた山。中学校の古希同窓会(H20.01.26)で帰省した際登頂したが三角点を発見できなかったので、高校の同窓会で帰郷した機会に再度チャレンジを思い立つ。「点の記」では西からの高屋ルートが紹介されているが、東からの開田ルートで登山開始。登山口には地元の方により案内板が立てられており、子供のころ教わった宮山城の秘話を思い出しながら登っていく。凡そ20分で休憩所。整備された当時は北に展望が開けていたらしいが、今は成長した植林等により展望はイマイチ。10分ほどで堀切があり、この辺りから城に関わる遺構が現れてくる。虎口の右が三の丸跡。現在は櫓が建っており、「ようこそ!」と登山者を迎えてくれる。 一息入れて三角点探し。前回(H20.01.26)は雪のため発見できなかったので、今回は是非ともの思いで、櫓の東の雑草の中を懸命に探す。そのうち倒れていた三角点標示杭を発見、続いて雑草に埋もれていた標柱を発見。ヤットのことで恋人に会うことが出来、周りの草を刈り払って記念撮影。 櫓に登って感激の【平和の鐘】を鳴らし、西・北・東の眺望を楽しんだ後、宮山城の本丸・二の丸のある頂上に向かう。(H20.06.15) *二の丸跡から尾根伝いに【深山】(B日名 526.3m)に縦走することができる(約40分)。(H20.01.27) <宮山城落城地方の伝説> 出典:「落合町史」 H11.3.30 落合町発行 宮山城は、天正12年(1584)3月3日の節句の日、酒宴の最中、毛利勢約4万余の大群に攻められて落城したという。以来この城址には、3月3日に登れば白馬が飛び、赤子の泣き声が聞こえ、宮山城で戦死した多くの将兵たちの亡霊がさまよっているという。以来幾百年、今日に至るまで、旧暦3月3日には登山してはいけないとされ、里人たちも3月4日には登山しても良いが、3日には登山する人はいないと伝えられている。 |
三角点は櫓の東3m |
雑草に埋もれていた三角点 |
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櫓から北の展望 |
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三の丸跡に建つ櫓 |
本丸の直ぐ上にある二の丸跡(頂上部450m) |
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三の丸跡から5分で本丸跡 |