三角点名  連島 (ツラジマ) 山名  大平山
所在地  倉敷市連島矢柄字大平               (「北面城跡」「北茂城跡」)
コード  TR35133657801 標高  161.76m
 埋 標   明治24年5月4日
地上部  12cm 方位  正常
概  況  <H21.07.18>
 「大平山」の山名をもつ山は多いが、この山もその一座。国道429号沿いの片島地区から南に入り、【ヘルスピア倉敷】」方面に向かう。大平山トンネル手前から、左の寂厳堂参道を登る。案内標識に従い、先ずは大平山を墳墓の地に遺嘱した寂厳和尚の祠宇にお参りする。碑文を読んで先人の遺徳を偲んだ後、賽之神まで引き返えし、大平山山頂への山道に取り付く。竹薮を通り抜け、賽之神から凡そ10分で大平山頂上。祠跡らしく切り開かれており、展望は抜群。
 小休止の後、東に50m程ほど行くと三角点峰。三角点は尾根道から北に5mほど入ったところにあり、方位等は正常。展望は僅かに北に開けているのみで、本峰に比べて訪れる人は少ないようだ。注意を喚起?するため、入り口の木に赤いテープを付ける。
 更に東に廻って鉄塔管理道を下り、竹薮の中を通り、大平山ゴルフクラブを経由して、市道に出る。(下り約15分)
 市道を300mほど北上し、寂厳堂南参道口に入り、コンクリート道を700mほど登ると賽之神に至る。(約15分) 展望を楽しみながら登るのであれば、南参道口からの方が良さそうだ。



三角点から北の展望

三角点は尾根道から5m北に入る

本峰から北の展望

祠跡と思われる本峰
 
寂厳堂前の碑
 
寂厳堂への分岐路にある賽之神 
 
トンネル北入り口手前からの参道口
   
トンネル南300mからの参道口
 
北面地区から見た山容
   
「ヘルスピア倉敷」から見た山容


  <H30.03.12>
 大平山西峰】の踏査を終えて東進し、「賽の神」横の空地に車を停める。装備を整えて大平山の登山道に取り付く。踏み固められた登山道の周辺には石垣等もみられるが、城の壇跡にしては幅が狭く、食糧難時代の開墾の証か?当時のことを思い出しながら高度を上げていくと凡そ10分で大平山本峰の頂上に着く。
 山頂南面には先客2組が居り、しばらく山談義をした後、古城の証を尋ねたが確とは分からず、今後の研究課題とすることに…。再会を約して別れ、東の三角点峰に向かう。凡そ50m東進し、
10年ぶりに三角点標柱に再会して元気な姿をカメラに収める。
 折角の機会なので古城の遺構等を探そうと【大平山東峰】に向かうと、所々で古い石垣等を見かけるが古城の証とは断定できず。矢張り専門家の調査・判定を待つべきか。 

 *「連島町史」(昭和31.3発行)には、「北面城」:「北茂城」に関し、「古戦場備中府志(巻の五)」(享保20年編纂)の「浅口郡」の条下に、次の記載があることが紹介されている。
 ・当城主 吉備大臣の嫡孫右京太夫光栄
 ・伝云、孝徳天皇天平勝宝4年5月加茂朝臣を賜る、天文暦数を掌る、一家両道を兼ねて宝鬼を保つ、歴道を以て其子光栄に伝え天文道を以て弟子安部清明に伝う、自此巳後両道に相分つ云々(以下略)
 *以下の写真はいずれもクリックで大

賽之神
登山道に取り付く
石垣もあるが…
竹藪の中を登って行く

本峰南面の石組み
本峰から南の展望
本峰北面の石垣
本峰北面からの眺望
 
本峰北面の石段
三等三角点
方位等は正常
三角点峰から北の展望
高い石垣も…
低い石垣も…
連島城址分布図
出典:「連島町史」(昭和31.3発行)