三角点名 | ー | 山名 | 石蟹山 | ||
所在地 | 新見市長屋 | ||||
コード | TR ー | 標高 | 310m | ||
概 況 | 新聞に、地元の保存会により「石蟹山城」のパンフが作成されたとの報道があり、「石蟹公民館」から送ってもらって山仲間と訪れる。 国道№180の「広瀬橋」バス停から東に入り、十字路北角の消防機庫の裏に車を停める。地元の方に登山口を教えて貰い、工事中の道路脇にある「石蟹山城➡」の標識に従って登山道に取りつく。道幅は広くはないもののポイントには標示板があり、迷うことはない。植林や自然林の中を進んでいくと20分ほどで「出丸跡」、続いて「堀切」があり、「虎口」、「武者走り」と続いてやがて山頂に達する。(往路約25分) 山頂には、手作りの「石蟹山城」「西(暦)1468年」の標柱が建っており、地元の篤い想いが伝わってくる。そして西端にある「見張台」の標識の下方が切り開かれていて石蟹集落が良く見え、かつて主郭があったのも納得出来る。(古いTVアンテナの残骸もあったが…)(H28.05.05) |
国道№180から見た山容 |
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「広瀬橋」バス停から東に入る* | 石蟹山城の案内板 * | 十字路は工事中 * |
市道からの取りつき口 * |
登山口にある道標 * | |
ポイントには標識がある * | 出丸 * | |
虎口 * | 武者走り * | |
西方面は切り開かれている * | TVアンテナの残骸 * |
<下り> 山頂からの展望を楽しんだ後、南に下る。初めは踏み跡らしきもののあるが、次第に不鮮明になり、「搦手」を過ぎると遂にヤブコギとなる。地形を確かめがら西に回り込むと、植林の東端に山道が見えてホットする。山道をやや下って「水の元」で喉を潤した後、作業道を東に進むと道端に石垣が積まれているところもあり、昔は畑でもあったのか?更に東に進むと「古戦場」の標識、その昔に想いを馳せながら植林の西端を5分ほど進むと【藤木神社】の神殿が見えて来て下山したことを確認する。(下り:約30分)。 無事下山できたことで神社にお礼参りし、狛犬さんにも10年ぶりに再会の挨拶をして駐車場所に戻る。 時間的にも余裕があり、折角の機会なので東の【鯉滝城跡】に登ることにしたのだが… |
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下山口 * |
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作業道を東に進む * | |||
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<石蟹山城> 出典: 「阿哲郡誌」 阿哲郡教育会 昭和4.12.10発行 石蟹郷村大字石蟹に石蟹山城趾あり。城主石賀山城守元宣は本姓三村にして、與平と号す。天文年中(1532~1555)尼子氏に捕らえられて、雲州富田城内に蟄居すること13年、その間新見左京城代たりしぞ。 <石蟹山城跡> 出典:「改訂岡山県遺跡地図」 岡山県教育委員会 平成15.3.31発行 室町時代の遺跡で、石蟹と長屋の境の山上にある。石蟹氏の居城。約210mの範囲に14郭の本丸、3郭の出丸を配し、堀切、石垣など遺存する。 |