三角点名  ー 山 名  両宮山 
(両宮山古墳・両宮城跡)  
所在地  赤磐市(山陽)穂崎           
コード  TR − 標 高   33m  
概 況 <前方部> (H28.10.20)
 県道27を通るたびに気になっていた両宮山古墳、ヤットのことで訪れることができた。和田集落にある両宮山古墳の標柱を確認した後、細道を通って墳丘部に取り付く。林の中に入ると天保7年(1836)建立の石の鳥居が迎えてくれる。(額は「両宮山神社」となっているが正式は【伊勢神社】)。参道を西に進み、随神門を通って拝殿に参拝する。
 本殿を一周して丘陵部に入り、山頂標識等を探すも見当たらず。国指定遺跡であり、勝手には標示できないことに納得して往路を引き返す。
 
北東から見た墳丘
   
両宮山古墳の標柱
 
墳丘部への取付口
 
両宮山古墳の案内板  *クリックで大
 
伊勢(両宮)神社
   
標識等は無し

  <後円部> (H30.03.26)
 周匝の【茶臼山】の探査を終えて岡山に向かう途中、立ち寄る。県道27脇の空地に車を停め、「両宮山古墳」の案内板を確認した後、中堤部から内壕と墳丘をカメラに収める。内壕の水が少ないが気になり西に回ると、後円部の崩壊防止工事中のためであることが分かった。
 ならばと浅瀬を渡り、墳丘部に取り付き、林の中を登って行くが2mを超すオオヤブで一苦労
ヤットのことで山頂に辿り着き、標識等を探すも何も見当たらず。ヤッパリ国指定史跡だ!と納得して往路を引き返し、県道脇に立つ「両宮山古墳」等の解説板を読んで往時を偲ぶ。
「改修赤磐郡誌」(昭和15.12発行 赤磐郡教育会)には、「両宮城」について次の記述がある
   城主は和田伊織(?所元常の臣)、永禄4年(1561)直家に攻め落とされる
 両宮山古墳の案内板  *クリックで大
 
 中堤部から見た内壕と墳丘
 
後円部の崩壊防止工事中
   
工事個所から後円部に渡る
 
墳丘に取り付く
   
中心部は2mを超すオオヤブ
両宮山古墳の標柱と解説板  *クリックで大
 
両宮山古墳と稚媛伝説の解説板 *クリックで大