三角点名  松原山(マツバラヤマ) 山名  陣山
所在地  高梁市松原町松岡字城ノ前
コード  TR35233149101 標高  598.65m
埋標   明治27年 5月 9日
方位  南南東向き 地上   12cm
概況  県道302の陣山バス停から、西進して陣山上集落に向かい、約1.2q地点の空地に車を停める。
 梅の選定枝を焼いていた地元の方に陣山の現況を聞くと、最近では登るはいない模様。教わった通り民家の奥から山道に取り付き、200mほど進むと荒れた山道となる。古い有刺鉄線の脇を北西に進むと谷筋に出て「保安林」の標識に出会う。ここからは山道は消え、地形を確かめながら浅い谷筋を登って行く。やがて西の斜面に取り付き暫く登ると石組みの下に2uほどの平地がある。さては井戸跡か?と落ち葉を掻き分けてみるがはっきりとはせず。
 引き続き登って行くと5分ほどで山頂に到着。フラットな山頂(30m×30m)には、壊れた小屋(雨量観測所)の部材が散乱しており、その西端に三角点が淋しそうに待っていてくれた。(往路:約25分)
 三角点の周囲を整理して記念撮影した後、「どうにかならぬか!」との思いで、放置された建築資材を写す。
 山頂付近は自然林が茂り、展望は殆ど利かないが、僅かに北に【大池山】の山頂が見え、陣山の謂れを窺うことができる。
 山頂から南西に下る山道を探したが見つからず、諦めて往路を引き返す。(復路:約20分)
 下山して、道を尋ねた地元の方に山頂の様子を話したところ、お土産に地鶏の卵と有機栽培のミズナを頂き、ルンルン気分で次の【秋葉山】に向かう。(H26.03.04)



フラットな山頂(30×30)
 
山頂から北【大地山】の展望

谷筋を登って行く
 
井戸跡?
 
荒れた山道となる
   
谷筋に建てられた保安林の標識
 
陣山上集落から見た山容(山頂は左奥)
   
民家の奥から山道に取り付く


 <陣山遺跡>      (高梁市HP等)
 市内で最も古い遺跡で、サヌカイト製の尖頭器が出土しており、縄文時代草創期のものと考えられている。
 昭和50年(1975)、発掘を担当したのは、鎌木義昌(大阪市出身、考古学者・岡山理科大学教授)。


 <陣山>        (昭和54年発行「高梁市史」要約)
 標高598.7mの3等三角点があって、無人観測所もある。山麓の県道沿いで旧石器が発見され、6世紀頃の
古墳もいくつかある。山頂から遠くは備後境まで一望に見渡され、天文元年(1532)尼子晴久の備中松山攻
めの基地が置かれた。また明治維新の頃、松山藩の洋式軍事教練の演習場であった。