点  名  西須恵 (ニシスエ) 山名  高 山
所在地  瀬戸内市長船町西須恵字高山
コード  L35234010001 標高  184.96m
埋 標    明治24年5月29日
 方 位  北西向き  地上部  18p
概  況  <H21.01.11>
 県道39号線を北上し、花尻集落にある佐府下池の下の倉庫脇に車を止める。やや登って、水路を渡り、東の墓地の6地蔵に挨拶して南の山道に取り付く。数年前に国土調査が行われたらしく、所々に調査杭が残っている。
 微かに残る踏み跡を確かめながら次第に高度を上げていく。5合目辺りからは踏み跡もハッキリせず、登り易いルートを探りながらの登りとなる。
 凡そ25分で山頂。三角点は静かに待っていてくれた。しかし何故か北西向き(300°)で、しかも北角が一部欠けている。改埋設で損傷したのだろうか。
 それはさておき、三角点の南からの展望は実に素晴らしい。錦海塩田跡は勿論、前島、小豆島が一望できる。また東には遠く家島が、そして北東には長船町の集落がはっきりと確認できる。更に南の斜面を良く見ると、最近造られたばかりの登山ルートが有るではないか!次回の参考にと、しばらくルートを辿ってみると、一旦稜線を南に進み、更に左回りに東に延びているようだ。もしかして、東の美和神社辺りにつながっているのか?とも思われたが、今回は縦走を断念して往路を引き返す。途中、ルートを邪魔する小枝や潅木を整理し、赤いテープをつけながら降りたため、時間は登りの倍の50分を要した。


 *「高山城」 (出典:「改訂邑久郡史」 昭和28年7月 邑久郡史刊行会 ほか)
 室町時代の城、城主は、鳥山左馬進(左馬允又は左馬亟)。「鳥居氏由緒」には、『弟重康道光より同村美和神社々人、12代の孫重康新十郎子惣右衛門鳥居と変姓』と記されている



佐府下池の東にある墓地

三角点は雑木山の頂上

山頂から北東の展望

山頂から南の展望


 <H28.04.09>
 【広高山】の三角点探査を終えて【美和神社】に戻り、境内北西から「高山城址」に向かう。200m程進むと「寺村・古代館」への分岐、直進して植林の中の尾根道を進むとやがて展望が開け、前方にピーク第1(標高150m)も見えだす。急坂にはロープも用意されているがお世話にならずに登ると北西に目標の【高山】がハッキリと見える。「カラス谷」への分岐を直進し、北西に延びる尾根道を進むと小さな岩稜地帯、慎重に渡って更に西に進むと「高山城址→」の標識があり、これに従う。自然林の中を通り過ぎると展望が開け、満開のツツジに彩られた山は正に絵のようだ!展望を楽しみながら進むとやがて「土塁址」の標識、かつて山城があったことを確認する。更に自然林の中を登って行くと岩場の上に標識が見え、一頑張りして山頂に到着。(往路:約45分)
 山頂からの展望は抜群で、周辺を整理された地元のボランティアの方のご苦労に感謝する。前回(H21.1)のコースより、こちらの方が断然お薦め、皆さんも是非どうぞ!
 山頂からの展望をカメラに収めた後、満足感に浸りながらユックリ往路を引き返す。(復路:約30分)

 *「高山城址」等の標識は、地元の「美和歩く会」により、平成23.6に設置されたとのこと。ありがとう!_(._.)_
高山城址への取り付き口 *
寺村・古代館への分岐 *
植林の尾根道を西進 *
尾根道に咲くツツジ *
ピーク第1も見えだす *
急坂にはロープも…*
尾根道から見える高山 *
尾根道を北西に向かう *
小さな岩場もあるが… *
高山城址への分岐  *
自然林の中を進む *
土塁址の標識  *
自然林を過ぎると… *
岩場の上に標識が見える *
山頂にある高山城跡の標識 *
山頂にある三角点 *
山頂から西の展望 *
山頂から北東の展望 *