神社名   米崎神社(焚火権現)
鎮座地   岡山市南区小串・米崎          【地図
狛犬 製作年  昭和29(1954)年4月
作 者   庵治彫刻 (香川県)
大きさ   高さ 52p
備 考   光南台公民館の「光南台地区神社探訪」で参拝した神社。急坂を登り切ると神門の奥で狛犬さんが迎えてくれる。先ずは拝殿に参拝すると「焚火権現」の額が掲げられており何か謂れがありそうだ。詳しくは後日調べることにして狛犬さんを調べてみると、台座に「昭和29年4月」「庵治彫刻」と刻んであり、瀬戸内海を船で運んできたようだ。道理で、備前・備中では見かけないユニークな表情・体形をしているのも頷ける。なお、手水鉢には「天保12(1841)年9月」と刻まれており、当社の創建は相当古いようだ。

     
 

  神社の沿革等       
@米崎神社
 地元の口碑に、往古この海岸に光明を放つものがあり、漁夫が近づいて見ると石の祠があったので山頂に運んで祀った。祭神は豊玉姫・玉依姫姉妹であったが、そのうちの一人が白幣に乗って平井の海岸に飛行し、次いで門田の山上に遷座になった、これが現在の【玉井宮】である。もう一人は米崎に残り、現在の米崎神社の祭神になられた、故に玉井宮とはご姉妹である、という。なお、山上の女神が、かくかくと海上に照り輝いたので「光明崎」と云い、転じて「米崎」になったと云われる。(「岡山市史 宗教教育編」(抄) 岡山市役所 昭和43.3.30発行)
 *【玉井宮・東照宮】にも同趣旨の記述がある解説板があるので、是非参拝して確認されたし。(白蛇の話も出ているよ!)

A焚火大権現
 文化14年(1817)、米崎に住む小林平助という漁夫がある夏の夜、出漁していて網に障るものあり、引き揚げてみると1個の小箱だったので蓋を開けて見たところ、錦布に包まれた小石と玉串並びに書物1巻があった。しかし無学の平助なので読むことができず元の箱に収めて海中に投げ込む。翌日、漁場にやってきて網を下したところ再び前日の箱が網にかかったので気持が悪くなり、また海中に投げ捨てて我が家に帰った。数日後のある日の暁天の夢に、「我は焚火権現の霊なり」との高らかな声を聴いたので平助は大いに驚き、夢が醒めて前日の箱の事を思い出して海辺に走って行って見ると、先日網にかかった箱が海辺に打ち寄せられていた。平助は、身震いをして、勿体ないと持ち帰り、近隣の人を招いて箱の中から1巻を取り出して見たが誰一人読み得るものはおらず、殊に潮水に浸って破れて失なわれた処も多く、字も判明しない。この事を誰となく聞き伝え、続々と参詣する人が絶えず、折柄、参詣人のうちから「これは焚火権現の霊魂である」と解かれ、平助は2度までも投げ捨てて帰っってきたことを悔い、里人と相談して米崎の東谷に小社を建てて、毎年6月24日を縁日として祭典を行った。その後、明治23年(1890)3月からは米崎東西部落によって当家を定め、毎月3月23・24日の両日を祭典日と改めた。
 明治8年(1875)、廣幡八幡宮の小山孝孫氏が上申して、焚火権現を祭神玉依毘売命に改め、社もこれまでの東谷の小社から米崎神社に合祀された。(「小串村誌稿
(要約) 小磯 昇著 昭和59.4.15

玉井宮にある解説板の例(何れもクリックで大)