鷲羽山 豆知識  (散策路の側にあった解説板から収録:順不同)


1.瀬戸内海の生い立ち
  瀬戸内海は、一つの大きな地溝帯で、全体が多くのブロックに分かれています。そしてブロック別に浮
 きあがったり、沈んだりしてその凹凸に海が入り込み、いわゆる多島海になったり、全く島の無い灘にな
 ったりしています。

2.火山錐と溶岩台
  三角帽子に似た二つの島が大槌島・小槌島と呼ばれ、昔、活動した火山体が長い年月の末、浸食され
 て円錐状に残ったもので、これを「火山錐」(ヒュート)と言います。また、台地状の屋島や五色台も火山活
 動によってできたもので、これを「溶岩台」(メーサ)と云います。

3.鷲羽山の花崗岩
  この付近の花崗岩はボロボロになっていますが、これは自然による風化ばかりではなく、大昔、鷲羽山
 が海底に沈んでいた時代に、海水中の塩分などの影響により、鉄分の多い長石や雲丹が変質したもので
 す。

4.瀬戸内海に象が住んでいた
  瀬戸内海の海底からステコドン象、ナウマン象と呼ばれる、時代を異にした二種類の旧象の化石が発見
 されています。これは、昔、日本列島が大陸と地続きであったこと、瀬戸内海が幾度か陸地になっていたこ
 とを物語るものです。

5.鷲羽山と遺跡
  鷲羽山には、数万年の昔から人類が住みついていました。彼等は、香川の五色台付近に産出するサヌ
 カイトという岩石を加工して作った石器を使い、魚や野獣を捕えて生活していました。

6.鷲羽山古墳群
  時代は約1,300〜1,500年前と推定される。形式は延宝んに属した横穴式古墳である。鷲羽山にはまだ多
 く残っている。

7.鷲羽山とマツ林
  一般に、樹木は陽樹と陰樹に分かれ、郷土と呼ばれる最適地でなければ正常な発育ができません。
 マツは陽樹で、太陽光線さえ十分であれば花崗岩質の荒地でもよく育つ樹木です。この一帯にマツが生
 育しているのはこのためです。

8.下津井港
  灘では風に乗り、瀬戸では潮に乗った帆船時代には、風待ち、潮待ちの港が必要でした。岬と島が天
 然の防波堤となっている下津井港は、西国航路の要港として、また四国街道の終点として大変賑わった
 ところです。

9.山頂(鍾秀峰)
  昭和6年(1931年)に来遊の文豪:徳富蘇峰が、「瀬戸内海の美景を全てここに集める」という意味で、
 山頂を「鍾秀峰」と命名しました。360度の大パノラマ眺望は、まさに圧巻です。


記念碑  鷲羽山
  山名の由来は、鷲が羽を広げて飛ぶ姿に似ているところから(山頂は133メートル)。
  昭和6年(1931)「国立公園法」が制定され、その第一号として昭和9年3月、瀬戸内海が雲仙、霧島と共
 に国立公園の指定を受けた。現在、その区域は、和歌山県から福岡県の440キロメートル、11府県にまた
 がっている。平成26年(2014)は、指定80周年の記念すべき年に当たる。
  この地に立つと、眼下に松島、釜島、六口(むくぢ)島の備前3島、櫃石(ひついし)島、本島、与島などの
 塩飽(しわく)28島が位置を占める。
  この備讃瀬戸の多島美を縫うように伸びる瀬戸大橋(鉄道との併用橋)は、昭和63年(1988)4月、約10
 年の歳月と1兆1,300億円の巨費を投じて完成、本土と四国を結ぶ大動脈の役を果たしている。
    平成26年9月 児島ロータリークラブ