三角点名 | − | 山 名 | 城山(ジョウヤマ) | ||
所在地 | 真庭市(美甘)美甘字麓 (麓城跡) | ||||
コード | − | 標 高 | 513m | ||
概 況 | 【美甘神社】に安全祈願した後、県道447号線を約100m北進して退避所に車を停める。 電柱「モリタブン6.鉄山幹8」から作業道に取り付く。途中、倒木等もあるが、余り苦にならない。周辺は桧の植林が間伐されていて、山頂まで見通すことができ、安心して登って行く。9合目付近の堀切から主郭部に取り付き急坂を登り切るとフラットな山頂。山頂標識を探すも見当たらず、国土地理院のプラ杭3723を記念撮影する。(往路:約15分) 天文年中(1533〜55)城主三浦美濃守の居城であったことから、その痕跡を探すも見つからず、また2006.4発行の「岡山県万能地図」には三角点が記載されており、必死で探すもそれらしき跡は見つからずザンネーン。 山頂から、東に延びる曲輪跡や南の展望をカメラに収めた後、作業道を降って行く。途中、石垣の残骸らしき切り石も見かけるが定かならず、山麓に降りつくと「武本城址」の標識があるが、これまた意味不明、どんな謂われがあるんだろう?(復路:約20分) 折角の機会なので、河田地区に残る「腹切り石」を訪ね、昔を偲ぶ。 (2017.11.21) *麓城 出典:「日本城郭大系」昭和55.1.10 新人物往来社 この城は、高田城主三浦貞明の居城で、三浦氏の支配地域の入口に位置する出城。天文年間(1532〜55)に出雲から攻め寄せて来た尼子晴久と戦って落城し、忠近は自刃したと伝えられている。 <追記> 山麓にあった「武本城址」の標識について真庭市美甘支局に照会していたところ、「地元では『武本』と書いて『フモト』と読んでいた」とのこと。ナーるほど、麓城のことだったのか納得。ご教示ありがとうございました。 |
県道447号線から作業道に取り付く |
倒木もあるが… | ひたすら登って行く |
堀切から主郭部に取り付く |
急坂を登り切ると…
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山頂標識はないが… | 三角点の跡も見つからず | |
山頂から南の遠望 | ||
作業道の西端は行き止まり | 石垣の残骸? |
東山麓にある「武本城址」の標識
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河田地区から見た「城山」の山容 |
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(表)三浦美濃守自裁之石
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(裏)解説 |