三角点名 | ー | 山 名 | 忍山 (「忍山城」跡) | |||||||
所在地 | 岡山市北区上高田 | |||||||||
コード | TR − | 標 高 | 298m (西峰は290m) | |||||||
概 況 | 【冠山】の探査を終えて北上し、「三宝院」から「忍山」の山容を確認した後、「観音院」の駐車場に車を停める。先ずは本殿に参拝した後、池の北端から作業道に取り付く。竹藪の中を進んでいくとやがて広い谷間に出る。右(南)斜面を探すと木に赤いリボンが付いており、そこから山道に取り付く。イノシシに掘り返された地道を登って行くとやがて山頂(最高点)に達する。(登り:約15分) 山頂に祀られている古い祠に手を合わせてから、尾根筋を西に向かう。アップダウンを繰り返し、堀切等も観察しながら西進するとやがて小さな石垣があり、西峰に達する。(最高点から約10分) 西峰からの展望は木立に遮られてイマイチ。やや残念な思いもするが尾根筋に咲くツツジや斜面に咲くヤマザクラに癒されながら最高点まで戻る。(約10分) 山頂の祠に別れを告げて往路を引き返し、観音院に参拝して駐車場所に戻る。 県道72の上高田トンネルを出て、先程探査した忍山西峰を振り返ると、南端は急峻な斜面になっており、合戦での攻防が偲ばれる。(2019.03.29) |
三宝院から山容を確かめる |
観音院に向かう |
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観音院に参拝する |
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竹藪の中を進む |
広い谷間に出る |
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イノシシで掘り起こされた地道を進む |
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堀切も残っている |
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西峰から西の眺望 |
尾根筋に咲くツツジ |
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ヤマザクラも満開! |
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<忍山合戦の概要> 出典:「日本城郭大系」 (要約) 宇喜多直家は、忍山城を重臣の宇喜多信濃守・岡剛介に守らせ、毛利方の持城を一つでも多く攻め取ろうと策謀していたが、これを察知した毛利方は、毛利輝元・吉川元春・同元長・同元氏・同経言・小早川隆景ら3万騎が態勢を整えていた。吉川元春は、先ず経言に2千余騎を添えて出陣を促した。経言は忍山近くに押し寄せ、敵陣を窺っていたが、宇喜多・岡の援軍として岡越前・長船紀伊守ら5千騎が嫡陣するとの情報に接したため、経言は一旦は退却を考えていたが、城内の信濃守・剛介らが1千余人を引き連れて打って出たので合戦となった。城側の岡らは経言がまだ若い武者なので侮り、一時に討ち取ろうした。しかし、寄せ手の経言は若者とは言え知勇を備え、祖父元就・父元春の血を引く名将であり、諸兵に下知を飛ばし、宇喜多・岡をめがけて攻めたので城側は後陣から崩れ、城中に逃げ込んだ。経言はこれに追い打ちをかけ、城の山下を焼き払い、更に忍山を取り込み、夜半に火を放ち、外からも攻撃したので場内は大混乱になり、忍山城は落城した。 戦勝した毛利側は、備中により強固な布石を打つことに成功し、以後、忍山城には毛利の武将桂左衛門大夫・岡宗太衛門などが在城した。この合戦で宇喜多氏が後詰めの態勢を取らなかったのは、織田信長による中国路の侵攻が計画されていた矢先なので、それに備えて、できるだけ勢力を蓄積しておきたかったためと考えられる。 |