神社名 志呂神社          (岡山県神社庁加盟
鎮座地 建部町下神目


製作年 万延 元年(1860)
製作者 不詳
大きさ 62×33×81
備 考  かなりお疲れのようではあるが、拝殿の前で頑張っている。反り返りの大きなシッポの下に小さな支えがあるのが特徴。伊都岐神社前の狛犬も苔むしており、谷川縁りにある土地柄の所為か。   

    

 
  伊都岐神社前 55×33×65 皇紀2600  作者:不詳  *阿像前懐に子狛犬を抱く

  神社に関する伝承       (岡山文庫193 「岡山の氏神様」)
 古代、美作の地は、出雲の大国主系と中山神社の祖である鏡川系と吉備津彦系(大和系)との三大勢力による争いが見られた。まず、先住者であった大国主系の「乙丸」は、後から移って来た中山の神の親衛隊(鏡作系)である「シロ」と「ゴロ」に追われ、この弓削の地まで逃れた。そして毎年、鹿2頭を廚谷または贄谷で料理して中山の神に奉納した。その後、帰順の証として「シロ」と「ゴロ」らを祀り、「代(シロ)大明神」を建てた。その「代(シロ)」がいつしか「志呂」となったと考えられる。