神社名  神田稲荷神社      
鎮座地  邑久町尻海
備 考  西隣の【若宮八幡宮】の末社。
 流石に稲荷神社だけあって神使もキツネ。石段下のキツネさんは来待石のため100年を経過して風化も目立つが、天に向かって吠える姿は使命感十分。拝殿前では備前焼の本場に近いこともあって名工木村儀三郎貞幹のキツネさんが、そして本殿裏拝所では小型のキツネさんが参拝者を迎えてくれる。
 なお、本殿前玉垣の内では相当古い狛犬さんが余生を送っており、若宮八幡宮との一体感がうががわれる。

@ 稲荷石段脇  明治27(1894) 小豆郡石工 石井萬吉  H55
   

A 稲荷拝殿前  慶応3(1867) 木村儀三郎貞幹  H 114



B 稲荷本殿縁側 年代・作者とも不祥  H 33
     

C 稲荷本殿裏拝所 年代・作者とも不祥  H 50


D 稲荷本殿前玉垣の内  年代・作者とも不詳  H 40

   

     神社案内  出典: 昭和29.10.31発刊 「改訂邑久郡史(下巻」) 要約
 尻海村萬乗丸の船頭萬衛門等、備前藩主池田光政の米俵を積みて江戸へ航行中、伊豆近海にて台風のため船は覆り船員悉く怒涛に中に溺死せんとする際、萬衛門外6名の者一斉に江戸神田稲荷宮に祈誓せしところ、霊験著しく九死に一生を得たり。然らば萬衛門大願主になりて産土神若宮八幡宮の境内に神田稲荷宮の御分霊を勧請せり。その後、星霜久しく社殿頽破に傾きしかば、願主の後裔は祖先の遺志を継ぎ寛政7年(1795)に再建す。神徳顕著にして賽者夥しく、その会陽もまた名高し。