神社名  沖田神社      (岡山県神社庁加盟
鎮座地  岡山市沖元
備 考  元禄時代に開拓された沖新田の産土神を祭る神社。境内には、道通宮や稲荷神社など多くの摂社・末社が祀れており、四季を通じて多数の参拝者で賑わっている。
 これを迎える鳥居前の狛犬さんは大型で、干拓にまつわるおきた姫の悲話を笑顔で隠しているようにも見える。また、道通宮前の狛犬さんは皇紀2600年記念で奉献されており、更に稲荷神社前のキツネさんは耳など一部欠落しているものの2世紀半を越える長命で参拝者を迎えてくれる。

@鳥居前   文政7(1824)   作者不詳   H 125
 
 
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A 道通宮前  昭和15(1940)   作者不詳   H 56 
   
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B 稲荷神社前   天保(1841)   作者不詳    H 60  
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      おきた姫の伝承        岡山文庫bU0「岡山の干拓」)
 備前藩主池田綱政の時代に、家臣津田永忠の指揮により、沖新田の干拓が行われた。最後の潮止めになって、潮流が激しくなかなか工事ができない。そこで家臣を集めて協議した結果、人柱をたてることとなった。誰に人柱になって貰うか相談していたところ、永忠の家の上女中である「おきた」が、「私はとうに命のなかったものを、御主人の奥さまに助けられて今日まで生き延びて参りました。人柱に立つのが皆様のお役のためになるならば喜んで私が人柱になりましょう」と申し出た。永忠は「それでは皆のために人柱になってくれるか。完成した暁にはおまえを神様としてお祀りしよう」と約束した。「おきた」は白装束を付け、龍神様を拝みながらを海に入っていった。堤も完成したので、この「おきた」を氏神様としてお祀りしたのが沖田神社であるという。