こまいぬ 狛犬    吉川弘文館発行    「神道史大辞典」

 狛犬は、獅子の形を基本として作られたもので、その起源はエジプト・ペルシャ・インドなどの神殿や門前に置く獅子形まで遡ることができるが、これが中国ではライオンでなく唐風の獅子になり、それを源流として我が国の狛犬は生まれた。

 狛犬という名称は、朝鮮半島のことを高麗(コマ、狛)と称したことから出ているが、外来の犬というくらいの意味である。左右一対にするのが原則で、これを獅子狛犬と呼んだこともある。獅子といい、狛犬というのも名称の変化にすぎない。

 通常は、神殿の縁側または社寺の前庭に置かれる。神社に置かれるのが普通であるが、寺にも稀に用いられた。昔は宮中で几帳の裾の鎮子として小型の木造狛犬が用いられたこともある。要するに狛犬の性格は守護神である。この一対は雌雄とは限っていない。一方に一本の角を作っているものがある。普通は開口と閉口の阿吽とするが、両方とも開口にしたのがある。

 木造・石造・金属製・陶製などがあるが、神殿上のは木造、屋外のは石造とするのが多い。現存の遺品では、鎌倉時代末期ごろから屋外の石造狛犬が作られている。古いのは木造のもので、平安時代後期康治元年(1142)作と考えられている奈良市東大寺のものや、鎌倉時代初期の大宝神社(滋賀県栗太郡栗東町)のもの、永仁五年(1297)の高売布神社(兵庫県三田市酒井)のもの(いずれも重要文化財)などが注目される。

 これらの形は、唐形式の獅子が和風化されたものである。これが日本の狛犬の基本形式となるが、この系統の石造狛犬としては、鎌倉時代末期の籠(コノ)神社(京都府宮津)のもの(重要文化財)、南北朝時代の都祁水分(ツケミクマリ)神社(奈良県山辺郡都祁村)のものをはじめとして、室町時代・安土桃山時代の遺品がかなり知られて来た。

 ところが、鎌倉時代初めに中国から宋風の石造狛犬が渡来した。奈良市東大寺南大門のもの(重要文化財)はその一種であるが、これは前肢ふんばって開口して顔を上げている。これとは違って前足の一方で毬をもてあそび、または児獅子とたわむれ、上体に動きのある形式があり、宗像神社(福岡県宗像郡)や観世音寺(福岡県大牟田市)、由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)のもの(いずれも重要文化財)がそれで、この宋風形式は唐獅子とよばれる形で、この系統のものも和宋混合のものも後世に及んで多く作られた。

 なお、狛犬から転じて稲荷神社の狐、魔利支天社の猪、天満宮の牛など祭神の使獣をもってこまいぬに代えることは江戸時代から始まった。(川勝政太郎)