神社名 八重籬神社     (岡山県神社庁加盟
鎮座地 高梁市内山下     


製作年 寛政  7(1795)
製作者 不詳
大きさ 60×30×63
備 考  城下町の上手(西端)にある神社。寄進が
「江戸外様御家中」とあるのが嬉しい。多少
肥満なのが気になるが、これも威厳か。材
料は来待石だが上方産なのかも知れない。



   神社に関する伝承   (山陽新聞社「岡山県大百科事典」)
 もと県社。祭神は、備中松山藩主板倉家初代の勝重と2代藩主の重宗の2柱。
寛政5年(1793)板倉家10代藩主勝政が京都・吉田家から初代京都所司代を
勤めた藩祖勝重に八重籬の社号と大権現の尊称を贈られ、藩の鎮守として祭っ
たのに始まる。このため、明治にいたるまで藩の重要行事は全て当社を中心に
行われ、一般庶民は,、参加はもとより、垣間見ることも許されなかった。明治以
降は広く一般にも開放され、氏子も内山下と川端町が加えられた。社宝には板
倉家と松山城
関係のものが多い。